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お知らせ
戦間期
こんにちは。
s-Live東京つつじが丘校の宮岡です。
第一次世界対戦と第二次世界大戦の間の約20年のことを戦間期と表現します。
この間は、今の価値観で言うとよくわからないことが頻発しています。
しかも、今から100年経つかどうかくらいの近い時代なので、
そこが非常に理解を妨げるところでもあるでしょう。
この中に、当時の日本の外交の失敗を批判するものが目立ちます。
挙句の果てには、当時の日本を愚かだとまで言う人もいます。
私は、ただ愚かの一言で人の考えを否定するのが、個人的に嫌いです。
当時の日本の中国進出から太平洋戦争までの流れ、
特に満州国に関してはよく非難されます。
具体的には、満州国は当時の国際連盟から、権益に関しては認められていました。
「満州国というものは認められないが、
日本の満州国に対する支配は認めていいよね。」というくらいの内容です。
そしてこれをうけた日本の反応は、国際連盟の脱退です。
なぜ、当時の日本は自分の権益が守られたのにもかかわらず、
国際連盟を脱退してまで、国際連盟の声明を拒否したのでしょうか。
これを「愚か」の一言で片付けるのは短絡的過ぎます。
仮にも当時の常任理事国として、
世界を引っ張っていけるだけの力を世界から期待されていた日本の排出した政治家が、
単に「愚か」だからで片付けられるのでしょうか。
自分は、当時の日本の意図としては十分に理解できます。
ここからの話は、当時の価値観で言えばという話です。
個人として植民地を肯定しているわけではありませんので、ご理解ください。
(日本の考える)民族自決が認められなかったということになります。
民族自決とは、その国の民族が自分たちの国を持つべきだという考えです。
帝国主義であったイギリスやフランスはこれに対抗出来るだけの力は既に無く、
実際には東ヨーロッパだけに適応されるにとどまった原理です。
ですが、これは間違いなく、当時二大強国であったソ連とアメリカの主張なので、いつかは世界中へ広がるという状況でした。
日本もその波に飲まれることは確かです。
そこで、満州国が国として認められなければ
いずれは日本から引き剥がされるに決まっています。
これからも満州国を維持していくためには、少なくとも国際連盟から
認めてもらえなければ始まりません。
また、当時の日本の権益を認めたのは、西欧諸国に余裕が無いからにほかなりません。
このまま目先の利益を得るために、10年~20年後の利益を放棄することは出来ない。
このような考えで、国際連盟の意見を拒否したのではないでしょうか。
もちろん、ほかにもやり方はあっただろうとは思いますし、
当時のやり方が正解だとは思いません。
ですが、当時の人間が一生懸命考えたことを、
一端だけ聞いて馬鹿にするような人間にだけは、
生徒たちになってほしくないと思っています。