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お知らせ

神か人か。

こんにちは?
s-Live 東京つつじヶ丘校の宮岡です?

前回までは、いわば近代以前の
哲学についてお話しました。

ヨーロッパではその後、
キリスト教の世界観が創られていくため、
哲学は、キリスト教の矛盾点を
補完するような形で発展していきます。

ただ、私たちにはキリスト教的な世界背景が
直感的に理解しづらいところもあるため、
ここで一気に近代へと話を飛ばします。

近代では、キリスト教的な考え方よりも、
実存主義的な考え方が広まっていきます。

実存主義…
難しいですね。笑

実存主義の説明をさせていただくと、
中世から近世のヨーロッパでは、
神が全ての中心でした。

これをオカルトチックだな、と思う方も
いるかもしれませんが、
そもそも中世以降の自然科学は、
「神が完璧に作った世界であるならば、
 一定のルールが存在するはずだ?」
という所からスタートしていますし、
ニュートンも非常に敬虔なキリスト教徒でした。

現在でも、ヨーロッパでは
物理学を専攻しながら、
敬虔なクリスチャンの方も
いらっしゃいます。

いわば、神の存在を証明するために
科学を研究していらっしゃる方々です。

ヨーロッパの人々にとって、
それだけ神・キリスト教という存在は
大きいものだったということです。

そうなると人間は、
自分の意思でいろいろなことを
決められるのか、
もしくは神の操り人形にすぎないのか、
もっといえば、人間と神、どちらを中心に
考えればいいのかという話になってきます。

ここで、実存主義とは、
人間があくまで大元である。
という主張をした意見だったわけです。

かなり、現代に近い感覚になってきますね。
このころから、自己責任という概念が
誕生します。

この実存主義を最初に唱えた人物が
キルケゴールという人物でした。

このキルケゴールさんは、
友達にいるとめんどくさそうですが、
人物としては、とても面白い人物です。

次回は、このキルケゴールさんについて
お話しさせていただこうと思います。